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あなたの言葉が、世界一。

せっかく読んだ本の言葉を、第3のビールやハイボールと一緒に忘れないように。

「イノセンスというといつのどの風景?」 新海誠×川上未映子 SWITCHインタビュー

テレビ

イノセンス(純粋さ)というと、いつのどの風景?

 新海誠×川上未映子 SWITCHインタビュー

 特段、鉄板のエピソードでもなんでもないのだけれど、鮮明に覚えている出来事は、なぜだか10歳くらいのことが多い気がする。
先日過ぎ去ったばかりの2016年の思い出となると写真の助けがあってもおぼろげなのに。

学校という縛りはあれども、ルーティンになっている部分が少ない小学生のころは、毎日毎日「今日は誰とどんなことをして遊ぼうか」と考えて行動していた。せっかく来た休日を有意義なものにしようなんて意識は無く、毎日が有意義にするべきもので、季節の行事だったり、社会の流れみたいなものにも影響されず、ずんずんと我が道を行っていた。いや、我が道を行こうなんて意識すら毛ほども持ち合わせていなくって、純粋に行動しているだけ。

純粋に行動しているが故、イノセントな時代は無謀でもある。
ひとつ覚えていることとして、街中全体ドロケイという物騒な遊びが流行った。(ケイドロだったか曖昧だけども)
駅の南~こっちの川まで・・・とか適当に範囲を区切ったら、どこに行ってもよしという、自由な遊び。
当時は当然携帯電話なんて無かったし、移動手段も自転車、泥棒役と警察役が出会えるのは1時間に1回も無い。

でも、よく考えたら凄い。なんたって、馬鹿みたいに範囲が広いのに出会えるのだ。
小学生ならではの嗅覚があるというか、ここにいるよねという信頼感があって、そこを順につぶしていけばビンゴを引き当てることが出来る。
終盤はうやむやになっていて、友人の家に隠れる→警察がなだれ込む→善悪入り乱れてのゲーム大会となっていたが、汗だくになっても気にせず、ウエストポーチを巻き巻き笑っていたあの頃がイノセンスかなあ。

大人になり、季節のイベントは、たしかにその場での充実感や、盛り上がり(そしてSNSでのシェアのしやすさか?)では、一定の水準を満たしてくれるし、年を取るごとに、毎年きちんと行事をこなすことで心も落ち着く、気がする。

今年もまた、正月用に買った餅をたらふく余してしまい、砂糖醤油で美味しいおやつにしなければ。