あなたの言葉が、世界一。

せっかく読んだ本の言葉を、第3のビールやハイボールと一緒に忘れないように。

「幸福が有限の資源だとすれば」 森見登美彦 太陽の塔

幸福が有限の資源だとすれば
君の不幸は余剰を一つ産みだした。
その分は勿論、俺が戴く。

 森見登美彦 太陽の塔 P.228

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

 

 宣言というものはとても使いどころが難しくて、その分ぴったりハマるとこの上ない効能がある。

 

なにやら不幸な出来事に見舞われやすい男性が、ほんの少し見えた光明を離すまいと、半ベソに無理やり笑顔を作って行う宣言は、勢いも相まって、清々しく気持ちがいい。

 

この文章を抜き出して見たものの、この部分だけではどんなスピードで読んでいいか、どんな勢い、どんなボリュームで叫んでいいかがわからず、消化不良。

前後の文脈含めて宣言文の良さは光る。

 

うちの部長にも勢いよく宣言してほしい。

宣言は意思決定のスピードを早める。力強く言い切ったことをロジカルに否定するのは、どうやら場の興が削がれるようで、うかつに否定できない空気になる。

 

うかつに否定できない空気にしてよ。お願いだ。

「避雷針はAVかな」 森見登美彦 太陽の塔

道行く女性を襲う男が雷としたら
避雷針はAVかな

 森見登美彦 太陽の塔 P.137

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

 

 物事を例える力があると、それはそれはふだんの生活が潤うのではないかと妄想する。

 

日常会話の例え話でも、ユーモアに満ちた返しができると、わっとその場が盛り上がり、ビジネスの場でも、自分たちが陥っている状況や解決の方法を例え話で説得されると、非常に納得度が高い。

 

松岡修造さんが「今日から君は噴水だ」という言葉を言っていた。

 

それだけ聞いたら、何が何だかさっぱりわからないが、どうやら勢いよく吹き出る噴水を見て

「あ、こいつ出し切ってるな」

と思ったらしい。

 

ここまで来ると才能によるものという雰囲気がぷんぷんとしてくるが、どうにかしてこの能力は磨きたい。

 

今日から私は何になれば良いのか?

 

「俺にかかればどうにもならん」 森見登美彦 恋文の技術

たとえどうにかなるものでも、
俺にかかればどうにもならんと思う。

森見登美彦 恋文の技術 P.12

([も]3-1)恋文の技術 (ポプラ文庫)

([も]3-1)恋文の技術 (ポプラ文庫)

 

 物事をひっかきまわしたり、既に混乱を極めている現状をさらに引っ掻き回す人って、いる。しかも本人にはほんの少しの自覚しかなく、いや、ほんのちょっと自覚があるのがたちが悪い。
「別に引っ掻き回したいわけじゃないんだけどね」なんて余計な前置きをしたうえで、心置きなく、くっちゃくちゃにしていく。しかもちょっと笑っていたりする。憎たらしいのだ。

 

とはいえ、余計なアドバイスというのは気持ちがいい。
特に自分が当事者ではない場合、言いたいことだけを言って、気を使われているのはわかりつつ、自分の意見にうなづいてくれている人を見て、ちっぽけな自尊心は十分に満たされる。
首を突っ込みたくなる気持ちはわかる。でもぐっとこらえて突っ込まずにいたい。
外から眺めるというのもむずむず楽しいもの。

恋文の技術は、帯の文章の勢いが好きで、あえて取っておいている。

「一筆啓上、文通万歳!」
「男なら、いや女でも、書きたまえ、送りたまえ。」

「社会的な自分の位置」 羽田圭介×オードリー若林 SWITCHインタビュー

テレビ見たらおいしそうなものとか出てくる。
それが買えないことが普通に悔しい。
社会的な自分の位置を感じてしまう。

羽田圭介×オードリー若林 SWITCHインタビュー

 

スターバックスに普通に入って、なんてことないのだという顔をして、注文することができるようになったのは、いったいいつからだっただろうか。
親父に連れられて初めて入った千葉県のあのお店は、ガラス張りの窓際にパソコンを開いているお洒落な大人たちがいて、本を読んでいる女性が優雅にコーヒーを飲んでいて、明らかに場違いな印象を感じていた。

 

いまでは自分がスターバックスという風景を作る一部になっていたり、もしかするといなかったりするかもしれない。

 

これは単純に年を取ったということだけでなくて、パーソナルな環境ではないところでも、そこそこ自然体でふるまえるようになった、とか、自分の働いたお金で、自分で選択して買っているのだという自信がついた、とか、小さな自尊心アップの要素が積み重なってきて、なせるようになった気がする。
結局注文できるのは、きらきらとしたトッピングのついていない味気ないコーヒーだったりするので、決してスターバックスの利点を最大限生かしているわけではないのだけれど。

 

一方で流行りのコーヒーショップには一人で入れない。

これは自分の位置の問題なのか、はたまた、フラッとそういうお店に入れる人の鈍感力というか物おじしない心が強すぎるのか。

 

位置が変わることで、生活の納得度が上がる。

 

上司に連れられて行った焼肉屋で、おいしいお肉の味を知ってしまった。
両面を5秒あぶるだけ、すき焼きのように卵黄につけてご飯と一緒に食べるあのお肉の味を知ってしまった。
「そうなるとチェーン店には戻れない」と続けたくなるけど、そうでもない。

チェーン店も十分すぎるほどおいしいのだ。
逆に、もしかすると世の中には、魔法のようにおいしいお肉があって、悪いことをして稼いでいる大人だけが楽しめるきらめく世界があるのでは、とむかむかしていた頃に比べて、チェーン店の納得度は上がった。
いくら美味しいといっても、まああの程度ならコストパフォーマンス的にはこっちでもいいよねという選択ができるようになった。

 

位置が上がると視野が広がる。
見たくないものも見えるかもしれないが、これまで見えなかったものも見える。
比べることで不幸もあるだろうけど、幸せだって比べないとわからない。と。

「自分が楽だから人を神格化する」 GRIT アンジェラ・ダックワース

 自分が楽だから人を神格化する

アンジェラ・ダックワース GRIT

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

 

 今となっては片鱗も見ることはできないのだけれど、小学生の時にいわゆるがり勉だった。出題範囲の決まっているテストでミスをすることなんてほとんどなく、元気に無邪気に100点の答案を積み重ねていた。
授業以外に勉強をしていない子供からしたら、それは驚くべきことで、「天才じゃん」とか言われて、10歳くらいまでは鼻も高々。
それでも、ある時気づいた

 

ちょっと待て、天才じゃない。
お前らより長い時間勉強しているだけだ。
こんなにこつこつ努力しているのに、天才という言葉で片づけやがって。
天才だったらこんなに勉強しないわ。

 

というようなことを言っていた。
言っていたにもかかわらず、最近まですっかり忘れていた。

 

ある業界で天才とか、才能があるとか呼ばれている人が、仕事術を公開する本を読むと、ほとんどの冒頭に

「自分は昔はできない奴だった。改善するためにほかの人よりちょっと長く、深く考えているだけなんですよ」的なことが書いてある。

読み手に共感させるための物語なだけで、

いやいや、実はそんなことないのでしょうよ、

とひねくれた目で読み飛ばし、

さてさて、身に着けたテクニックとやらだけを吸収させていただきましょう

と先の部分を読んでいた。



小学生の時代に、自分で経験までしているのに、全然学べていなかったが、この冒頭の物語のようなことが確かに起きているのだろう。最終的なテクニックは、確かにその人の発見なのかもしれないが、差別優位を獲得できている一番の原動力は、ほかの人がやっていないことを続けていることだ。

 

他人を神格化している場合ではなく、コツコツと自分にとって重要なことを続けないと。

「やり抜く力」 アンジェラ・ダックワース GRIT

やり抜く力」が強いということは、
七回転んだら、八回起き上がること。

 アンジェラ・ダックワース GRIT

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

 

 

「ウサギと亀」の亀のお話。
継続は力なりというお話。
石の上にも三年、というお話ではないかもしれない。

 

好きこそものの上手なれというお話には近いんだけど、結局のところ重要なことだとわかっていても、何かをやり続ける、やり抜くということは、げろを吐くほど難しい。
分かっちゃいるけど続けられないのだ。

 

と書いているところで、自分のこういう思考回路だったり、飽き性なところだったりを理解している分、スタートラインには立てている気がする。しかしスタートすることが大変なのだ。だってゴールの見えないマラソン大会の始まりである。走ることがとても重要だとわかっていても、終わりが見えないと走り始めるのはこわい。つらい。


やり抜く力の前に「やり始める力」という本をだれか書いてくれ。


物事に終わりがあると思っていること自体が、なんとなく覚悟が中途半端というか、物腰が入らないのか。今務めている会社も、定年退職という終わりが見えている。
それをゴールにするにはあまりに暗すぎる。
なんでそのゴールを目指すかと言えば、安定的な生活を手に入れて幸せに暮らすため。

じゃあ幸せに暮らすための手段が本当に今のお仕事かと言われればそうではない。

 

きっと、好きで自然に始めたことがいつの間にか当たり前のものになっていて、日常的に続けていって、力がぐいぐい伸びていくことが理想形。そういえば昔は熱中すると朝まで没頭する趣味があった。ちょっと特殊だけど、没頭して、誰かに成果を見せて、評判がいいと気をよくしてさらに没頭して。


こういうポジティブなループが回るようにしよう。ポイントは評判だ。
褒められて伸びるタイプじゃない人なんていない。叱られて伸びるなんて嘘だ。

誰かしこたま褒めてくれ。

「一日の終わりにおいしいお酒を味わえる」 原田マハ 風のマジム

一日の終わりにおいしいお酒を味わえる。
こういうのいいな、となんとはなしにうれしくなる。

 原田マハ 風のマジム  P.80

風のマジム (講談社文庫)

風のマジム (講談社文庫)

 

 ほとんど毎日お酒を飲む。

気分が乗らないときでもノンアルコールビールを飲む。ビールの代わりに我慢して飲むわけではないから、非常に前向きに、苦味と炭酸を味わえるのが心地良い。

 

お酒はその種類や銘柄によって美味しく感じる気候というか、雰囲気があるように思う。

沖縄旅行で行った居酒屋で、流しのおっちゃんの歌を聴きながら、なんなら踊ったりもしながら飲んだ泡盛はほんとうに美味しく、この感動を持ち帰らねば勿体無い!と土産で買って帰るも、家に帰るとイマイチ。

フランスで安くて美味いワインに出会って、スーツケースの中で爆発しないかハラハラしながら持ち帰ってきても、家で開けたワインは値段相応というか、これまで通りのワインだった。

 

逆も然りで、日常にあったお酒もある。

それはそんなに主張しなくて良いし、料理という主役をそっと影から引き立ててくれれば良い。旅行から帰ってきて第一声が「やっぱりお家が1番だなぁ」となる感じ。あれ。

 

結局はただのお酒好きであって、飲んでる最中は余計なことを考えないし、いや、考えられないし、好き勝手飲んで、えいやっと眠れるお付き合いを末長く。なにとぞ。

「春日力」 羽田圭介×オードリー若林 switchインタビュー

初対面のはずなのに、人間が出てきて15秒で、あっ、こいついじっていいやつなんだと思わせる何か。有るんでしょうね。

羽田圭介×オードリー若林 switchインタビュー

 

 

 ある。これはある。

 

この力を持っているものは、ひとたび人気者になれば、周りの人に愛のこもったいじりを受け、そのいじられている姿もなんともほんわかとして、さらに愛される。

そして、テレビに映るオードリー春日となり、狩野英孝となり、出川ご意見番となる。テレビの中ならね。

 

ただしこの力を持っていながら、他人とのコミュニケーションが苦手だったり、いやそもそも親兄弟以外の他人と話すことさえ無理という具合になると、それは一気に孤立する。

強靭な精神力とウィットに富んだ返しの技術によって、ユーモアのあるキャラになれれば良いが、弄りは連鎖する。なかなかに終わりが見えない。だんだんイライラしてプリプリと怒りたくなる。

 

なんなら、いじっている方も怒り心頭だ。

だって、そんなにいじっていいと顔に書いてあるじゃないか。据え膳食わぬは男の恥とばかりにいじったのに、それを拒むなんてなんたることか。と言った感じ。

なんとまあ勝手な言い分。

でも、それはこの力のなせる技。

 

 私はちょっと欲しい。

 

 

「義務教育が終わる、みたいな感じ」いきものがかり放牧宣言

まあ、義務教育が終わる、みたいな感じですかね

いきもの学級新聞  山下穂尊 

いきものがたり

いきものがたり

 

 いきものがかりのファンクラブに入ってます。10周年のライブも大雨の中参加してたんだけど放牧とのこと。

会報誌の中に書いてあった義務教育が終わるって表現が言い得て妙。

 

この表現を借りるなら社会人になって9年目までは義務教育期間。その先3年も高等教育期間、さらに4年間もフラフラできる。世の中堅社員のみんな朗報じゃないか。

 

そして、どうだろう。16年も務めたあかつきには、役職も上がるのではないだろうか?係長でも、課長でもいいのだけれど、マネージャーになるということは、経営層に加わるということだ。決してこれまで通り、メンバーとして自分の利益を考えていればいいのではない。これからは新しく会社のことを考えなければ。これは新しい教育が必要だ。

 

そう、経営層としての義務教育期間が再度スタートできる。さあ新しい9年間の始まり始まり。右も左も分からないひよっこの私を導いてもらいましょう。

 

大学卒で32年務めるとしよう。

すでにあなたは54歳だ。役職定年が近づいているのでは?出向をしているかもしれない。別の場所に異動をしていることもあるだろう。

もう、我々は義務教育期間から逃れられない。

 

いつだって新人の気分で臨めば心も楽になる。

なにも、そんなに自分で色々抱え込むもんじゃない。基本我々はキャパオーバーだ。

新人気分で周りにどんどん頼ろう

 

いやいや、頼る相手も義務教育期間なのか??

 

 

 

 

「イノセンスというといつのどの風景?」 新海誠×川上未映子 SWITCHインタビュー

イノセンス(純粋さ)というと、いつのどの風景?

 新海誠×川上未映子 SWITCHインタビュー

 特段、鉄板のエピソードでもなんでもないのだけれど、鮮明に覚えている出来事は、なぜだか10歳くらいのことが多い気がする。
先日過ぎ去ったばかりの2016年の思い出となると写真の助けがあってもおぼろげなのに。

学校という縛りはあれども、ルーティンになっている部分が少ない小学生のころは、毎日毎日「今日は誰とどんなことをして遊ぼうか」と考えて行動していた。せっかく来た休日を有意義なものにしようなんて意識は無く、毎日が有意義にするべきもので、季節の行事だったり、社会の流れみたいなものにも影響されず、ずんずんと我が道を行っていた。いや、我が道を行こうなんて意識すら毛ほども持ち合わせていなくって、純粋に行動しているだけ。

純粋に行動しているが故、イノセントな時代は無謀でもある。
ひとつ覚えていることとして、街中全体ドロケイという物騒な遊びが流行った。(ケイドロだったか曖昧だけども)
駅の南~こっちの川まで・・・とか適当に範囲を区切ったら、どこに行ってもよしという、自由な遊び。
当時は当然携帯電話なんて無かったし、移動手段も自転車、泥棒役と警察役が出会えるのは1時間に1回も無い。

でも、よく考えたら凄い。なんたって、馬鹿みたいに範囲が広いのに出会えるのだ。
小学生ならではの嗅覚があるというか、ここにいるよねという信頼感があって、そこを順につぶしていけばビンゴを引き当てることが出来る。
終盤はうやむやになっていて、友人の家に隠れる→警察がなだれ込む→善悪入り乱れてのゲーム大会となっていたが、汗だくになっても気にせず、ウエストポーチを巻き巻き笑っていたあの頃がイノセンスかなあ。

大人になり、季節のイベントは、たしかにその場での充実感や、盛り上がり(そしてSNSでのシェアのしやすさか?)では、一定の水準を満たしてくれるし、年を取るごとに、毎年きちんと行事をこなすことで心も落ち着く、気がする。

今年もまた、正月用に買った餅をたらふく余してしまい、砂糖醤油で美味しいおやつにしなければ。